稲毛の町がかつて海辺にあったという記憶を留める8つの風景を選定した「いなげ八景」。
その魅力を紹介するために前々回から3回に分けて探訪のレポート記事をお届けしている。
シリーズ1回目(前編)はこちら↓
シリーズ2回目(中編)はこちら↓
後編となる今回は、いなげ八景を構成する風景から最後に残った7つ目「旧神谷傳兵衛稲毛別荘」と、8つ目「稲毛公園の松林」の2箇所について紹介していく。

いなげ八景の魅力を探訪する旅を最後まで楽しんでほしい。

前回のあらすじ
シリーズ全3回の内の2回目だった前回は、いなげ八景の4つ目の名所である「稲岸公園・民間航空記念碑」、5つ目の名所「千葉市ゆかりの家・いなげ」、そして、6つ目の名所「稲毛浅間神社」へご案内した。
稲岸公園ではパイロットの卵たちが抱いた大空への想いを、千葉市ゆかりの家では清朝ラストエンペラーの実弟夫妻が暮らした痕跡を、そして稲毛浅間神社ではかつて海辺だった頃に拝めた神秘的な光景についてお伝えした。
後編の今回は、前回の最後に訪れた稲毛浅間神社の二の鳥居から探訪の旅を再開する。
⑦【神谷別荘秋月】旧神谷傳兵衛稲毛別荘
いなげ八景、次の名所が【神谷別荘秋月】こと、旧神谷傳兵衛稲毛別荘だ。

旧神谷別荘の探訪を始める前に、その概要や八景としての名称に触れておこう。
旧神谷傳兵衛稲毛別荘の概要
旧神谷傳兵衛稲毛別荘は稲毛の町に唯一現存する洋館建築となっている。
建設主は「日本のワイン王」として知られる神谷傳兵衛(かみやでんべえ)。彼は東京浅草にある神谷バー(旧みかはや)や、茨城県にある牛久シャトー(旧牛久醸造場)の創始者でもある。
現在の愛知県西尾市で生まれた神谷は、17歳の時に横浜でフランス人が経営するフレッレ商会で雇われた。神谷はその頃原因不明の体調不良に悩まされていたが、雇い主からもらったワインで不調を解消できたことをきっかけにワイン作りにのめり込むようになった。
1880年に浅草で「みかはや」を開業し、ワインを飲みやすく改良した「蜂印香竄葡萄酒」で日本にワインを飲む習慣を広めた。また、1903年に牛久醸造場を創業し、66歳で死去するまで国産ワインの製造に生涯を捧げた。
そういう異色な経歴を持つ神谷によって、この旧神谷傳兵衛稲毛別荘は大正時代中期の1918年に建設された。
別荘は和洋折衷様式で、1階は洋室、2階は和室になっている。また、大正時代の建築としては珍しい鉄筋コンクリート造りを採用しており、1923年の関東大震災にも耐えたという記録が残っている。
なお、この洋館は1997年に国の登録有形文化財に指定されている。
秋月とは?
八景の名称に含まれる「秋月(しゅうげつ)」とは、中秋の名月のこと。

十三夜の夜、高台にある旧神谷傳兵衛稲毛別荘からは南の方に中秋の名月が見えたらしい。
また、別荘の前は海辺が広がっていた。日中は静かな海、夕方は日暮れ、そして日没後は月と星がゆったりとした時間の中で堪能できたという。
絵に描いたような風光明媚な場所で1日を通して充実したリゾートライフがこの別荘では過ごせたことから、中秋の名月にちなんで秋月と名付けられたのだとか。
探訪:旧神谷傳兵衛稲毛別荘
それでは、旧神谷傳兵衛稲毛別荘の探訪を始めよう。
前回の終わりに稲毛浅間神社の二の鳥居を潜って国道14号線に出たが、今回はそこから旅の続きを始める。
二の鳥居から国道14号線を左(千葉方面)へ5分ほど進もう。

すると、左手側に千葉市民ギャラリー・いなげの入口が見えてくる。

旧神谷傳兵衛稲毛別荘はその敷地内でギャラリーに隣接する形で保存されているので、画面奥の階段を上がって敷地に入ろう。
前庭
階段を上がり切ると、左奥に洋風のゲートがある。開館時はここが開いているため、そのまま中に入って別荘を目指す。

旧神谷傳兵衛稲毛別荘および千葉市民ギャラリー・いなげの開館時間は次の通り。
- 公開時間:9:00〜17:15
- 休館日:毎週月曜・祝日・年末年始
(月曜が祝日の場合はその翌日も休館)
どちらも入場料は無料になっている。
ゲートを潜った後の光景が次の画像。

左には千葉市民ギャラリー・いなげの建物が、右には目的地である旧神谷傳兵衛稲毛別荘の建物がある。
こちらは千葉市民ギャラリー・いなげ。

このギャラリーでは、主に地元のアマチュアアーティストたちが手掛けた作品の展示会や様々なワークショップが開催されている。ちなみに、僕が訪れた時は地元の写真クラブによる写真展が公開されていた。
なお、ギャラリーの前にある庭には、鯉が住んでいる池も設置されている。

近くにはベンチや自販機もあるので、街歩きに疲れたらここで休憩していくといいだろう。
さて、ギャラリーの右隣りにある目的地の旧神谷傳兵衛稲毛別荘へ向かおう。
外観
こちらが旧神谷傳兵衛稲毛別荘の入口を正面から見たところ。

入口には洋風別荘らしい5連アーチと白色タイル張りを採用。ロマネスク様式の特徴である半円アーチに直線的な形状を組み合わせたデザインは、その後のモダニズム建築に通じるという。
アーチを潜ってテラスに入り、右側を見ると、優雅でこぢんまりとしたテーブルとチェアが置かれていた。

往時は海辺の景色を見ながらここで家族や来客と談笑でもしていたのだろうか。
テーブルが置かれた場所の反対、向かって左側に別荘の内部への入口がある。下駄箱とスリッパがあるので、ここで履き物を変えて中に入ろう。
1階
別荘の中に入ると、まず始めに立派な赤い階段が目の前に現れる。

上方にはシャンデリアがあるが、細部をよく見るとブドウの蔓や葉っぱのような意匠が施されていることに気付く。
別荘内にはこのようにワイン商だった建設者ならではの要素が随所に織り込まれているので、それらを探してみるのも面白いだろう。
階段の横には別荘の歴史や館内の見所を大まかに紹介したパネルもある。

この玄関部分で忘れてはならない仕掛けがもう1つある。それがこちらの、入口横にある格子窓だ。

画像では上手く伝えられないが、この窓ではロックを外すと格子が下からせり上がるように設計されている。当時としても非常に珍しい仕掛けなのだとか。
次に、玄関から右側にある応接間を見学しよう。

ここにはダイニングテーブルやソファ、そして暖炉など、いかにも洋館らしい洋室となっている。暖炉には大理石をベースにしたヴィクトリア朝様式の絵描きタイルが嵌め込まれているとのこと。
幾何学的な模様の床にも一工夫がある。寄木を採用することで木の色合いを生かしているという。
それでは、階段を上がって2階へ進もう。
2階
別荘の2階に上がると、1階とはまるで異なった和室が現れる。

向かって左側に書院造りを採用した12畳の主和室、正面に8畳の和室がある。
主和室の床の間にはこの2階部分に関する案内板も設置されている。

和室内の様々な場所に散りばめられたワイン商ならではの要素も解説されているので、この案内板を参考に各要素を探してみるのも楽しいだろう。
なお、この床の間の横にある柱木はフランスのボルドー地方から輸入したブドウの古木なのだとか。

また、床の間を正面に見て主和室の向かって右手側の 欄間には、下記の画像のように独創的な意匠が施されている。

ワイン商らしいブドウの透かし彫りに、神谷のトレードマークでもあるハチとトンボが組み合わされている。
ガイドさんの話によると、ハチは神谷がワインにハチミツや薬草を混ぜて改良した「蜂印香竄葡萄酒」が由来になっているらしい。一方、トンボについては、前にしか飛べないという性質から前進の象徴として、彼が作った「牛久葡萄酒」のラベルにも採用されているとのこと。
これらのことに関しては、欄間の近くにあったこちらの案内板でも紹介されているので、見学時は合わせて確認しておくといいだろう。

ちなみに、このブドウ・ハチ・トンボの意匠が施された欄間を主和室の中から着座した状態で見ると、意匠が浮き上がったように見えるという仕掛けも隠されているらしい。
次に、主和室の隣にある和室へ向かおう。

この部屋にも面白いものがいくつかある。
まずはこちらのテーブル。コウモリの装飾が施されているが、かなりの年代物らしい。

次にこちらのシャンデリア。フレームの部分に木が使われた珍しいものらしい。

そして両方の部屋の間にある欄間にも注目。ここにはブドウの蔓が巻き付けられている。

これもワイン商ならではの遊び心だ。
和室を経由して奥の間に進むと、そこには様々な資料のパネルが設置されている。その中でも特に僕の目を引いたのがこちら。

神谷本人がこの別荘で過ごしたのはわずか4年間だったが、その後には驚くべき人たちが住んでいた。なんと、前回の中編でも触れた中国清朝のラストエンペラーだった愛新覚羅溥儀の妹2人がここで過ごしていたという。
パネルにはその辺りのことが詳しく解説されているため、ぜひ目を通してもらうといいだろう。
最後に、主和室の外にある廊下へ移動しよう。

ここには下記の画像のように何とも風流な窓が設置されている。

かつて十三夜の夜にはここから中秋の名月が見れたとのことなので、神谷傳兵衛や愛新覚羅姉妹の気持ちになって心の目で秋月をイメージしてみるといいだろう。
ちなみに、ガイドさんによると、日中訪れるとたまに地元のおっちゃんがここで寝そべっていることもあるのだとか(笑)
⑧【松林夜雨】稲毛公園の松林
いなげ八景、最後の名所が【松林夜雨】こと、 稲毛公園の松林だ。

稲毛公園の探訪を始める前に、その概要や八景としての名称に触れておこう。
稲毛公園の松林の概要
稲毛公園の松林はかつて、日本三景の1つである宮城の松島や、兵庫の須磨や舞子浜と共に肩を並べる名所だった。
1910年に発売された旅行ガイドブック『避暑案内』でも紹介されている。その中には稲毛の松林について「磯馴松 幾百本と生い茂り 播州の舞子の浜の趣がある」という記載があり、千葉を代表する景観の1つとして全国に知られていた。
稲毛海岸は千葉県で最初に整備された海水浴場としても有名。明治中期に開設された当初、海水浴は健康増進に良いとされたことから奨励されていた。それから程なくして、海水浴を療法に取り入れた施設「海気療養所」が稲毛の松林に創設され、施設内には医師も常駐していた。
後に海気療養所の運営は近くで大きな旅館を営んでいた加納屋へと引き継がれ、リゾートホテル「海気館」として再スタートを切った。この旅館は文人墨客が訪れていたことでも知られており、その中には森鴎外・島崎藤村・林芙美子・田山花袋などの名前も記録されている。
海気館の他にも、当時稲毛の松林にはこういった別荘や旅館が数多く建っていた。現在は全て取り壊され、松林の中に埋もれているが、海辺だった記憶を留める特殊な形の松の木々に当時の栄華を思い浮かべることができる。
松林夜雨とは?
八景の名称に含まれる「松林夜雨(しょうりんやう)」とは、松林に降る夜の雨のこと。

かつて海辺にあった頃、稲毛の松林は雨が降ると霞がかかって幻想的な風景を見せることで知られていた。
ファンタジー感が強調されるのが夕方。特に、薄暮(マジックアワー)に降る雨は、まるで異世界に迷い込んだかのような風景を生み出していたらしい。
残念ながら海岸線が遠のいた現在ではその景色を見ることはもうできないが、一度は見て見たかったものだ。
探訪:稲毛公園の松林
それでは、稲毛公園の松林の探訪を始めよう。
稲毛公園の入口の1つは、旧神谷傳兵衛稲毛別荘のある千葉市民ギャラリーの敷地から見ると背後にある。
市民ギャラリーを後にして国道14号線に出たら、右へ進み、最初の曲がり角を右へ曲がる。

その先は少し急な上り坂になっている。最後まで上がり切ると稲毛公園の入口が見えてくるので、ここから中へ入ろう。

磯馴松と根上松
公園内を少し進むと分かれ道に遭遇する。ここは右側の道を選んでその先にある小高い丘を目指す。

丘の上まで辿り着くと次のような風景が見られる。

至る所に松の木が生えてること、そのほとんどが変な形をしていることに気付くはずだ。実は、これらの特殊な形状の松こそが、この場所が海辺にあったことを如実に証明している。もう少し詳しく見てみよう。
例えば、園内で多く見られる、このように大きく傾いたまま立っている松。

こういった松は磯馴松(そなれまつ)という。強い海風によって木の幹が山側に傾斜するとこのような形になるという。先ほど紹介した『避暑案内』の中にあった一節は、この大きく傾斜した磯馴松のことを示している。
次に、こちらのように、本来土中にあるはずの根が露出してしまった松も園内で多く遭遇する。

こういった松は根上松(ねあがりまつ)という。海風で砂がさらわれ、地上に根が露出してしまうとこのような状態になるという。
いずれにしろ、どちらの松も海辺だった頃の強い風の影響を受けてこのような形になっている。つまり、これらの松の存在こそがこの場所が海辺にあった証明そのものだということに他ならない。
ちなみに、僕の訪問時、この丘の上では下記の画像のようなものもあった。

砕かれた貝殻が撒かれた跡。この光景を見られるのは現在はこの稲毛公園くらいだが、前編で最初に紹介したせんげん通りを始め、かつては至る所で見られたらしい。
ここまでで見るべきものは一通り見終わった。丘を下ってせんげん通りまで戻ることにしよう。

せんげん通りまでの戻り方
丘を下ると舗装された遊歩道が見えてくる。

遊歩道に出たら、右折して進む。すると、三角形に囲われた敷地があるので、その辺をなぞるようにして画面の左手側へ遊歩道を進もう。

続いて、左手側に稲毛公園の松林を見つつ遊歩道に沿って進む。

途中、左手側に小さな公園や公民館が見えてくるが、道に沿ってさらに直進する。

やがて稲毛浅間神社の境内が左手側に見えてくる。境内に沿って道の合流地点まで進む。

すると、せんげん通りに出る。あとは道を上がっていけば、いなげ八景の最寄駅である京成稲毛駅まで戻れる。

ここまででいなげ八景巡りは完了だ。お疲れさまでした!
おまけ:ランチとお土産
最後に、おまけとしてランチにおすすめのお店とお土産について紹介しておこう。
ランチにおすすめの店:あかりサロン稲毛
いなげ八景を巡った後のランチには、あかりサロン稲毛というお店を利用するのがおすすめだ。京成稲毛駅の踏切の手前にあるので、探訪の帰りにも気軽に寄れるだろう。
下記がそのお店の画像。

あかりサロン稲毛は地域の交流施設として地元民に人気の場所だ。1階がコミュニティカフェになっており、ランチなど食事の提供もここでされている。

ちなみに、2階以上はレンタルスペースになっている。地元の方々による様々な文化のワークショップが開催されているのだとか。
カフェの中はこんな感じ。清潔感があってとても過ごしやすそうな雰囲気だった。

壁面のラックには、地元の方々が製作したアクセサリーなどの可愛らしい小物が展示されている。これらは購入もできるらしい。

また、このあかりサロン稲毛はとあるアニメの聖地としても有名な場所らしい。なんでも、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(略称:俺ガイル)の劇中では、このお店で提供されているハニートーストが登場していたらしい。

店内には俺ガイルの巡礼者のための特設スペースが設置されている。
放送から時間が少し経った現在でも、置かれたノートに書き込みが確認できることから、根強い人気を持つ作品だということがうかがい知れる。残念ながら僕は未視聴なのだが、これを機に見てみようかと思った。
さて、ここからが本題だ。
このお店に来たら是非とも注文したいものがある。それがこちらの稲毛膳(800円)だ。

プレートの中にはアサリの佃煮やアサリの揚げ串なども含まれており、かつて稲毛の浜でよく獲れていたアサリの食文化を現在に伝えるメニューとのこと。名物というだけあって、アサリ串は磯の風味があって特に美味しかった。
なお、このアサリ串に関しては単体でも注文が可能らしい。数本購入して食べ歩きをしながら街歩きをするのも面白いかもしれない。
お土産におすすめの店:並木酒店と稲毛園本店
お土産におすすめの品も紹介しておこう。
まずは、こちらの画像を見てほしい。

これは先ほど訪れた神谷別荘に置かれていたものだ。これに掲載されている蜂印香竄葡萄酒、電気ブラン、そして電気ブランケーキがお土産としておすすめだ。
蜂印香竄葡萄酒と電気ブランについては、京成稲毛駅からせんげん通りを少し進んだところにある並木酒店で購入できる。下記の画像のような外観をしているので、探す際の参考にしてほしい。

蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)とは、輸入ワインにハチミツや漢方薬を混ぜて改良した甘味葡萄酒のこと。元々は、ワインを飲む習慣のなかった日本にワインを広めるために、神谷傳兵衛が考案したものらしい。
ちなみに、名称にある「香竄(こうざん)」は、神谷の父が使っていた雅号らしい。父の御恩を忘れないために採用したとか。また、隠しても隠しきれない豊かな芳しい香りという意味も含めていたという話もある。
電気ブランはブランデーをベースにジンやベルモットをブレンドした神谷オリジナルのカクテル。神谷バーの看板メニューだったものらしい。
名称に「電気」という文言があることに疑問を持つかもしれない。なんでも、明治の頃は目新しいものや舶来のハイカラなものには「電気」を付ける風潮があったらしい。また、ビリリと痺れる飲み口も由来の1つなのだとか。
最後の品、電気ブランケーキについては、稲毛園本店というお店で購入できる。下記にお店の外観の画像を載せておくが、京成稲毛駅のすぐ近くにあるので簡単に見つけられるだろう。(前編のせんげん通りの項目でも紹介済み。)

電気ブランケーキとは、電気ブランと生姜を組み合わせた焼き菓子のこと。西千葉にあるカフェ「珈琲とワインのある暮らし25」が製造を担当した稲毛限定の品になっている。ピリッとスパイシーな香りがクセになるらしい。
残念ながら僕はお酒が苦手なのでどちらもまだ試せていないのだが、お酒好きな方にとっては嬉しいお土産になるだろう。稲毛を訪れたらぜひ試してほしい。
総評
前々回、前回と3回に渡って続いたいなげ八景を探訪する旅もこれで完了だ。
八景の名所全てを巡ってみて改めて思うのは、かつてこの稲毛の町が確かに海辺に存在していたこと。
暮雪・晩鐘・晴嵐・松林夜雨などの風景は、埋立てによって海岸線が遠のいた現在では残念ながらもう見ることはできない。
しかし、いなげ八景の探訪では、それぞれの場所が海辺にあった痕跡を発見できる。そして、それらから当時の様子をイメージすることは十分に可能なのだ。
あなたも稲毛を訪れたら、ぜひいなげ八景を巡って海辺だった町の記憶を辿ってもらえればと思う。
いなげ八景は街歩きの真髄が味わえる魅力的な旅のきっかけになるだろう。
今回の取材で使用したカメラ機材
コンパクトカメラ
OM SYSTEM Tough TG-7 ↓
ミラーレスカメラ
OLYMPUS E-M1 Mark III ↓
現行の後継モデルはこちらのOM SYSTEM OM-1 Mark II ↓
交換レンズ
M.ZUIKO DIGITAL ED 8-25mm F4.0 PRO ↓